今年一番のお気に入りです(ノンフィクション編(笑))

星を作った男 阿久悠とその時代/重松清 著/講談社
昭和の歌謡曲を担った作詞家、阿久悠さん、幸運にも我々の世代は、幼少から青春期までが、阿久さんが活躍した時代とほぼ一致おり、今でも彼の書いた詩をごく自然に数多く口ずさむことができます。うちの母親が晩御飯作りながら口ずさんでいたのは森山香代子や尾崎清彦、そして沢田研二(笑)、その頃子供だった我々ははフィンガー5、西城英樹、ピンクレディーから、そしてピンポンパン体操(笑)。要は、私が物心ついた昭和44年頃から音楽に夢中だった昭和60年頃まで、阿久さんの書いた数々の詩は私たち子供を巻き込んみながら
日本の音楽界を席巻していました。
亡くなられた時に数多くの媒体が追悼特集を組みましたが、どれも私を完全に満足させるものではありませんでした(笑)。今回、我々とほぼ同世代である重松清さんが阿久さんと親しかった人々へのインやビューや過去の著書から、人間 阿久悠の軌跡をこの一冊の本にまとめられました。あの頃の時代を記録した第一等の佳作だと断言します。
阿久さんに対する批評の難点は、実は阿久さん自身が、ご存知の如く
非常に優秀なもの書きでいらっしゃるということです。こと”歌謡曲”や”作詞論” に関しては、最初の絶世期である70年代に上梓された”作詞家入門”という佳作を始め、後の時代においても歌に関する多くの本を著しています。それは、他人の評価が入る余地の無いほど、緻密かつ想いがこめられた文章達であり、それ故に数多くの追悼本は、残念ながら色あせて見えてしまうのです。
我々世代の筆頭作家(笑)である重松さんは、阿久さんの著書や、周辺にいた方々へのインタビューから、”人間・阿久悠”を他者からの目で再度徹底的にあぶり出してます。その結果再構築された阿久さんは、、、、人間味溢れた、負けず嫌いな人柄が露になりました(笑)、そういう
”人柄を知ることで、その人の仕事がさらに深く理解できる”って感じでしょうか?うまくまとまりませんでした、スミマセン。上梓にあたり大変な重圧だったと思いますが、さすが”阿久さん世代(笑)”の重松さん、何か使命感にとりつかれたように書き上げられています。分厚いですが一気に読める本です。
余談ですが(笑)・・・
この頃の歌謡界は実に絢爛豪華であり、様々な媒体と比較してもTVの歌謡番組が一番の花だったような気がします。その歌謡界に対して当然反旗を翻す御仁も(笑)いらっしゃるわけで(笑)、、、
タレント残酷物語/竹中労著/エール出版 1977年
”よろず評論家”である竹中さんは、華やかな歌謡界の裏側をいつもの姿勢でルポされています。ナベプロに代表される ”搾取”のシステム、紅白選考の裏側等々、、歌が好きな方が読むと興ざめするかも知れませんが、これはこれで当時の文化を記録する貴重な資料だと思います。
また同時に映っているのは、近田春夫さんの名著”気分は歌謡曲”。1980年代の歌を中心に当時リアルに聞いたままの感想が今読んでも新鮮です。更に余談ですが(笑)、近田さんは確か明星の付録”ソングブック”の中で新曲の論評をされていた?記憶があり、佐野元春の"Happy Man"が出た時は絶賛されていたのを今思い出しました(笑)。
それにしても、昨今の流行歌の世の中における衰退はどうしたことでしょう?私たちの頃の流行歌は=正に日本国中で流行っていた歌、であり国民のかなりの割合が口ずさんでいたような歌でしかりでした。尾崎紀世彦の”また会う日まで”、沢田研二の”時の過ぎ行くままに”、、、
大人向けの歌ですが小学校でも流行っていました。いわんやフィンガー5は!(笑)
現在のヒットチャートを見ると、、、昭和41年生まれにしては音楽にアンテナを張っていると自負している私(一応RADWINPSやBUMP OF CHIKIN,アジカンなどは未だにライブに行ってます(爆))でも知らないアーティスト(歌手ではなくアーティストですよね)の方が圧倒的です。みんな(=大衆)が知っているような、本当の意味での流行歌を送り出していたのは最近ではもうサザンくらいでしょうか?
ちょっと話が横にそれましたが、この本や彼の著述書を読めば読むほど、、、確かに”いかに売れるか”ということに執着していたきらいはありますが、この時代
”売れる”ということは=すべての大衆に認知され・知られる ということであり、彼のやっていたことは、正に
”時代の一部を創っていた”のです。しかもこれらの本を読んで頂ければ判りますが、すべてにおいて手を抜かず、森昌子のデビューの際もピンクレディーのデビューの際も同様に大真面目です。いつでも誰でも、彼は詩を書く時、
”時代”を常に意識して取り組んでいました。
省みて、今仮にオリコンチャートで嵐やSuperflyが一位をとっても、失礼ですが、大衆のほんの一部にしか歌は伝わっていない状況です(よね?)ので、、、社会・いや今の時代の中では
現在の歌の立ち位置はその程度なのです。
売れること=時代に影響を与えること まで見据えて仕事をする必要がない、いや風潮がそうなのでしょうか?もう一度、今のヒットソング達を当時と同じように、あの頃、流行歌が世の中に溢れていたような時代を、もう一度呼び戻すことはできないのでしょうか?
阿久さん自身も歌の役割が変質してきたことを80年代半ばには機敏に察知し、80年半ばに川島英吾に”時代遅れ”という歌を書いています。この曲に関しては、”歌謡曲”が時代遅れ、という意思の表れではないか?と書かれているコラムが多いですが、
”大衆に届く歌を生み出す姿勢”、いや行為自体が時代遅れ、つまり
”自身の仕事が時代遅れ”、というように私は解釈しています。そしてその後文筆業の方に仕事の中心を移されていきます。
色々書きましたが、この件に関しては資料も膨大ですし、まだまだ自分自身でも読み込みきれていない所が多々あります。また新しい知見がでれば書こうと思いますが、今の時点ではこのくらいまでで(笑)。
P.S. 高校の同級同級生・大古君がNHKで製作した”通~歌謡曲”に亡くなる数ヶ月前の阿久悠さんがTV出演されていましたが、何か、、、実に嬉しそうな感じでした。表面化していないですが、私を含めて、我々の世代には確実に阿久さんのDNAは受け継がれてますよ!(笑)