長新太さんのコト |
私が子供の頃、つまり絵本や児童書を読んでいた時期はおそらく1970~1976(昭和45~51年)くらいだと思います。この頃は私的には、 ”日本絵本黄金時代(笑)” と認定されており、様々な出版社から様々な絵本が怒涛のように毎月出版されていました。驚くべきことに絵本だけではなく ”絵本を語る” 専門雑誌も何種か発行されていたのです。
(月刊絵本1973年9月号 特集 長新太)
当時数ある絵本の中でも、必ず見覚えのあるタッチがありました。それは白いバックに黒い線でヘナヘナな筆調で書かれていて、まるで落書きのようでもありました。もしくは、それを少し丁寧にした(笑)タッチに原色がサインペンで極彩色に描かれていました。”なんか上手じゃないけど印象残る絵だなあ?”と子供心に感じていたのですが、それが長新太さんの絵でした。
以前”本の紹介”で堀内誠一さんを取り上げましたが、元々新聞や週刊誌に風刺漫画を書いていた長さんの才能を見抜き、”絵本書かない?”と誘ったのが堀内さんです。以前より大きいキャンパスにでっかく書きたいと思っていた長さんは即答され、最初の絵本”がんばれ さるのさらんくん” が月刊こどものともで出たのが昭和33年!。以来2005年に77歳まで亡くなられるまで第一線で書かれていました。それでは少し本の紹介をさせて下さい。
幼稚園の頃リアルタイムに読んで一番好きだった絵本は、下の写真の”てぶくろくろすけ”です。眼科的にはマズイ色調なのですが、お話がとにかくファンタジーで楽しく、そしてヤサシイ。冬の就寝前の読み聞かせには最適だと思っています。1973年2月 こどものとも203号、年長さんの時に読んだ絵本ですね。
小学校の図書室で何度も借りた記憶のある ”星をかぞえよう” 今江祥智との競作で”ゆうもあ三部作”の第三巻。1969年初版。”夏、冒険、海、花火、チンピラ(笑)”色々な懐かしい思い出が詰まっている一作です。
我が家には当時ちょっと古い”母の友”がありました。親向けの記事に混じって読み聞かせ用のお話が載っておりよく読んでいました。表紙は年代わりで作家さんが変わるんですが、これは長さんが担当していた1970年1月号の表紙です。いい絵ですね(笑)。
”ああ、この人か!”と少しでも思い出された方がいらっしゃれば幸いです(笑)。
長さんはその後ドンドン色調やタッチが変わっていき晩年は極彩色(笑)でした。しかしながら遺作となった”ころころ にゃーん”では原点回帰のふにゃふにゃへろへろペン画長さんでした(笑)。
”ライバルは子供!”と生涯言い続け、闘病中も絵筆を握られていた長さん。未発表の下書き段階の絵本を和田誠さんが”しあげ”をした絵本が昨年から今年にかけて何冊か発行されています。この辺も長さんの人望・長さんの本を少しでも読みたいと思う読者の要望の表れかと考えています。
私自身、少なからず長さんから影響は受けていると思います。うまく言えませんが、子供の頃長さんの本は必ず身近にあり、それにより”楽しく”幼少時代を過ごして・いや過ごせたていたと思うのです。このような作家さんは他には居ません。亡くなられて色々な作品やエッセイなどの著作、追悼本(たくさん出ています!)や評論を読むにつけ、”もうあんな作家さんは二度とでてこないだろうな”と少し寂しく感じているこの頃です。以上絵本のコト、ではなく長さんのコトを少し語らせて頂きました(笑)。
P.S. 現在病院に飾っている長さんの色紙です。チャリティーに出されていたものを生前入手しました(04とサインが入っています)。 宝物(笑)